世の人もすなる風露句といふものを我もしてみんとてすなり。 主に、練り習ひしことを公けに開らかにせんとす。 其のほか、心に浮かぶよしなしごとをつづるものなり。
2018年1月25日木曜日
2018年1月22日月曜日
世紀の対決 'Miracle Mile' Rodger Bannister V.S. Jhon Landy
Rodger Bannister(left) and Jn Landy(right) in Empire game at Vancouver on Aug.7th 1954
以前記事で1マイル(約1600m)4分の壁を人類史上初めて破ったのは英国のロジャー・バニスター卿と書きました。時は1954年5月6日、所はオックスフォード大学のトラック、記録は3分59秒4でした。その直後の6月21日、フィンランドのテュルクにて豪州のジョン・ランディが3分58秒を出し、世界記録を更新します。
そうなると世間は二人が対決したらどうなるのか、どちらが世界一強いランナーなのか、と俄然耳目が集まってきます。
二人はその年の8月7日、バンクーバーで開催された英連邦大会で雌雄を決することになりました。何万もの観衆が見つめる中、号砲がなります。ランディは300m地点で早くも先頭に踊り出て、レースを引っ張ります。400mの通過は58秒。バニスターはランディの先行を許しますが、徐々にその差を詰めていきます。ランディは迫るバニスターの気配を感じたのでしょうか、何回も肩越しに振り向きながら位置を確認しようとします。
ランディがそのまま逃げ切るのか、はたまたバニスターが爆発的なスパートでランディを抜き去るのか、息の詰まるような、手に汗握るレース展開。
観衆も興奮し、レース会場は割れんばかりの声援で満たされます。この時の歓声が大きすぎてランディは迫るバニスターの足音が聞こえず、最終コーナーで左肩ごしに振り向いたその瞬間、バニスターがランディを一気に抜き去ります。
そのままバニスターが187cmの長身から繰り出されるロングストライドで差を広げ、ゴールテープを切ります。
軍配はバニスターにあがりましたが、二人とも4分を切る好レース。その模様が以下の映像に残されています。
1st Rodger Bannister 3:58.8
2nd John Landy 3:59.6
バンクーバーの大会会場には二人の対決を記念して銅像が建てられているらしく、この時の様子を振り返ってランディは聖書の逸話をもじってこう言ったといいいます。
「ロトの妻が振り返ったとき、彼女は塩の柱になってしまった。私はあの時振り返ってしまったために銅の柱になってしまった!」
“When Lot’s wife looked back she was turned into a pillar of salt. When I looked back I was turned into a pillar of bronze!”.
*塩の柱 旧約聖書の逸話
ソドムの町には、アブラハムの甥のロトという人が住んでいました。彼は正しい人だったので、神の使いは、ロトに町が滅びる前に逃げるように言い、ただし、けっして後ろをふり向いてはならないと告げました。ロトは家族を連れて逃げましたが、彼の妻はふり返ってしまったために、塩の柱になってしまいました。そこから、英語表現のa pillar of salt は 「すべてを失うこと」 の意味で使われます。
2018年1月16日火曜日
伊勢の銭湯
伊勢市内には、常盤湯、井筒湯、旭湯、錦水湯、コトブキ湯の五つの銭湯があります。私が引っ越してきた4年前は伊勢湯と大師湯も営業していました。
今日は河崎にある霊泉湯に行ってきました。ここは昔ながらの銭湯で、お湯は地下50mからくみ上げた無菌深層水を沸かしているようです。設備はジェットバスと泡風呂、そして大きめの湯船が浴場の真ん中に鎮座しています。関西の銭湯は伝統的に湯船が真ん中にあるパターンが多く、ペンキ絵はない、と聞いたことがありますが、ここはまさにその典型です。私はのんびりした雰囲気が好きでちょくちょく行きます。
風呂に入ったあとは番台のある玄関口でぼーっとテレビをみるのが定番です。
今日の練習:風呂でリラックス
今日は河崎にある霊泉湯に行ってきました。ここは昔ながらの銭湯で、お湯は地下50mからくみ上げた無菌深層水を沸かしているようです。設備はジェットバスと泡風呂、そして大きめの湯船が浴場の真ん中に鎮座しています。関西の銭湯は伝統的に湯船が真ん中にあるパターンが多く、ペンキ絵はない、と聞いたことがありますが、ここはまさにその典型です。私はのんびりした雰囲気が好きでちょくちょく行きます。
風呂に入ったあとは番台のある玄関口でぼーっとテレビをみるのが定番です。
今日の練習:風呂でリラックス
2018年1月10日水曜日
Dieter Baumann ディター・バウマン
1992年バルセロナ五輪にてアフリカ勢に一矢報いる。最後の息詰まるようなスパート合戦。死力を尽くしたランナーのみに訪れる至福の瞬間。
Dieter Bauman ディーター・バウマンは1965年西ドイツ生まれ。1988年のソウル五輪5000mで銀メダルを獲得し、映像にある1992年のバルセロナ五輪では金メダル、1996年のアトランタ五輪では4位に入賞しています。
1997年8月にチューリッヒで皇帝ハイレ・ゲブレセラシエ、ダニエル・コーメン、ポール・テルガトらに続いて5位に入り5000mの自己最高12分54秒70を記録しています。この記録は非アフリカ系ランナーとしては最高のタイムです。
*以下は12分台を記録している非アフリカ系ランナーの一覧です。iaaf 5000m
45 | 12:54.70 | Dieter BAUMANN | 09 FEB 1965 | GER | 5 | Zürich | 13 AUG 1997 |
51 | 12:55.53 | Chris SOLINSKY | 05 DEC 1984 | USA | 5 | Stockholm | 06 AUG 2010 |
55 | 12:55.76 | Craig MOTTRAM | 18 JUN 1980 | AUS | 2 | London (Crystal Palace) | 30 JUL 2004 |
59 | 12:56.27 | Dathan RITZENHEIN | 30 DEC 1982 | USA | 3 | Zürich (Letzigrund) | 28 AUG 2009 |
72 | 12:58.21 | Bob KENNEDY | 18 AUG 1970 | USA | 5 | Zürich | 14 AUG 1996 |
77 | 12:58.56 | Matthew TEGENKAMP | 19 JAN 1982 | USA | 7 | Bruxelles | 04 SEP 2009 |
83 | 12:58.90 | Galen RUPP | 08 MAY 1986 | USA | 3 | Eugene (Hayward Field) | 02 JUN 2012 |
209 | 13:08.40 | Suguru OSAKO | 23 MAY 1991 | JPN | 6r1 | Heusden-Zolder | 18 JUL 2015 |
2018年1月9日火曜日
Crazy Running
Crazy Running
高部雨一さんの本です。
アンチテーゼとしてのランニング。
文明社会において、原始的な行為を行う。
もともと人間に備わっていた野性を取り戻す。
なにごともバランスが大切であると思います。
ランニングは真に自由な行為です。
好きなときに好きなだけ自分のペースで走る。
なにもかもおいて外に出かけてください。
携帯も時計も要りません。自分を縛るものをすべて捨ててください。
自分の気持ちの赴くまま、好きな道を走ってください。
アスファルトの決まった道だけを選ばないでください。
芝の上、砂の上、落ち葉を踏みしめ、大地を捉えて走ってください。
力いっぱい地面を蹴ってもう走れなくなったら、空を見上げて、風のにおいをかいでみてください。
時にはひざまずいて土のにおいもかいでみてください。
あなたを取り巻く大気に触れてみてください。
その時あなたは何かを感じるでしょう。
その気持ちを大切にしてみてください。
Running is truly freedom behavior
Run whenever wherever you like at your own pace
Leave everything behind
No cellphone, no watch, leave anything bind you
Take your own road
Do not persist on asphalt route,
On the grass, on the sand, step on to the leaves, catch the ground
When you run hard and exhaust, look up the sky and sniff the air
Kneel on the ground and sniff the earth
Touch the atmosphere surround you
Then you feel something
Take that feeling as the precious thing
2018年1月7日日曜日
2018年1月4日木曜日
奇矯な男 Crazy Man
パーシー・セラティ翁(1895-1977)は過激で、情熱的、議論好きで相手を叩きのめさないと気が済まない激情家であったらしい。しばしば相手を挑発するような言動をし、それは自分の元に集まってくる選手たちにも同じであったようだ。
しかし、非常に理性的な面も持ち合わせており、自分の体験から裏打ちされたトレーニング方法、食餌法、哲学を惜しみなく世間へと開陳した。
その考え方は今でも全く色あせることなく、むしろその輝きを増している。
非常に鋭い目で相手を見据える Cunning man |
挑むように身振り手振りを交え語る Talk aggressive |
均整の取れた無駄のない身体 ウェイトトレーニングを非常に重視した The man who loved barbell |
バーベルを愛し、生徒たちにも必ず行うよう勧めた His pupils also loved barbell |
愛弟子ハーブ・エリオットと共に wih Herb Elliot |
力感溢れるハーブ・エリオットの走り 1マイル、1500mでは無敵を誇った Powerful running by Herb Elliot |
ベティ・カスバート嬢と共に 短距離選手もその薫陶を受けた with Betty Cuthbert, he also coached sprinters |
ランパン一丁で長広舌をふるう Talk, talk and talk, he never stopped |
女性には優しく、またもてたようだ He loved ladies |
砂丘を駆け上がるハードトレーニング
sand dune running, the hardest training
多くの生徒と共に 砂丘を駆け上がるトレーニングはポートシーのトレーニングキャンプの名物だった with many 'boys' |
オーストラリアの公認コーチにも就任した |
愛弟子との語らい with Herb Elliot |
2018年1月3日水曜日
三重県出身のランナー
一番有名なのは瀬古俊彦さんでしょう。桑名出身で四日市工高時代に800m、1500mインターハイ二冠。早稲田からSBへ進み、中村清監督の薫陶を受けマラソンランナーとして頭角を現し当時世界最強の名をほしいままにしました。現在はDeNAの総監督を勤めておられます。
古くは森本葵さん。夫婦岩で有名な二見出身で、宇治山田商業高校を経て中央大学に進学。1964年ドイツ・マインツ大学に留学中に800m1分47秒4の日本記録を樹立し、同年の東京五輪では優勝候補に挙がるほどの方でした。この記録は30年近く破られることがありませんでした。私が駒大に在学中は陸上部の監督の任をとっておられ、背が高く颯爽とした風貌が印象的でした。
近くは野口みずきさん。伊勢出身で森本さんと同じ宇治山田商業高校に進学。実業団では当初ハーフマラソンに専念。小柄ながらパワフルなストライド走法で鳴らしました。その後マラソンへ移行し2004年アテネ五輪では金メダルを奪取。2016年リオ五輪出場を目指していましたが、落選、引退して現在は上海に住んでいるようです。
最近では高林祐介選手、伊勢市小俣町出身で駒大時代の活躍を経てトヨタ自動車へ就職しました。同じ小俣町出身に尾西美咲選手。リオ五輪で女子5000mの代表に選出されています。同五輪では男子マラソンに鈴鹿市出身でホンダ所属の石川末廣選手、女子3000m障害に紀宝町出身で松山大学生の高見沢安珠選手が出場しています。
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