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2023年7月12日水曜日

10000m新旧比較

1998年度 日本50傑
渡辺康幸、高岡寿成、花田勝彦さんがトップ3。
皆さん今でも監督として活躍なさっていますね。
学生では山本佑樹(日大)、三代直樹(順大)、佐藤裕之(駒大)さん等が30傑入りしています。
山本佑樹さんは今は明治大学の監督ですね。
佐藤さんは自分にとって駒大の一級上の先輩にあたります。しかし、実力が段違いで雲の上の人だったので、畏れ多くて一言もしゃべったことはないです...
2022年度 日本50傑
こうして比較すると、如何に渡辺さんや高岡さんが強かったか良く分かりますね。
当時の27分台というのは日本ではトップクラス。
しかし、世界に目を向けるとエチオピアの皇帝ゲブレシラシエが長距離界を席巻していました。
ケニアのテルガトはいつもあと一歩及ばず、苦杯をなめさせられていた記憶があります。
いわずと知れた日本育ちのギタヒ選手もとんでもなく早いですね。
ポルトガルのピントやドイツのバウマンなどのヨーロッパ勢もランクイン。
カナダのJ.シーブラー選手も懐かしい!NEC、富士通と日本の実業団で活躍していましたね。
たしか、クロスカントリーにも強かったような?
世界50傑には日本トップ3がランクインしています。

2022年度世界50傑。日本人では羽生拓矢選手が唯一人ランクインしています。
こうしてみると10000mはマラソンに比べると記録の差が余りないですね。
皇帝の絶対的支配がどれだけ強力だったかがわかります。
マラソンの記録の伸びには厚底シューズが大いに寄与していますが、ロードとは異なりトラックに於いてはそれほど影響がないという事でしょうか。

2023年7月9日日曜日

マラソン新旧比較

1998年度50傑
懐かしい
面々が並びます。日本人選手も数多く名を連ねていますね。ブラジル、スペイン、イタリア、モロッコ勢も頑張っています。
2022年度50傑
東アフリカ勢、特にエチオピアの躍進が目立ちます。エチオピアは伝統的に少数精鋭主義だったように思いますが、近年は沢山の選手が育っているようです。
日本人では唯一人、鈴木健吾選手が気を吐いています。

2018年4月19日木曜日

ボストンマラソン


先日のボストンマラソンで川内選手が悪天候で有力選手が次々脱落する中、粘走をみせ優勝!
おめでとうございます。栄冠を手にした瞬間の男泣き、心の底から嬉しさがこみ上げてきたのだと思います。同じランナーの端くれとして本当に感動しました。長い低迷期をくぐり抜け日本のマラソン界、一気に盛り上がってきました!
川内選手にしても、大迫選手にしても、設楽選手にしてもそれぞれが自分の流儀を貫き結果を出しているように感じます。
2020年の五輪に向けて、名乗りを上げる選手がまだまだ出てきそうです。

因みに67年前の今日、1951年4月19日田中茂樹さんがボストンマラソンで日本人初優勝しました。その翌々年1953年には山田敬蔵さん、1955年に濱村秀雄さん、1965年には同年のウィンザーマラソンで世界記録を樹立する事になる重松森雄さん、1966年には後のメキシコ五輪で銀メダルを獲得した君原健二さん、1969年には元祖公務員ランナー采谷義秋さん、1981年、1987年には瀬古利彦さんがそれぞれ優勝しています。
川内選手は瀬古さん以来31年ぶり優勝という快挙となり、日本人ランナーの輝かしい系譜に名を連ねることとなりました。
重ねて申しあげますが、優勝まことにおめでとうございます!

ロジャー・バニスター卿 逝去



先月、3月3日に88才で亡くなったそうです。
不可能とされる1マイル4分の壁に挑んだ陸上の大先輩に哀悼の意を捧げます。

2018年1月22日月曜日

世紀の対決 'Miracle Mile' Rodger Bannister V.S. Jhon Landy

Rodger Bannister(left) and Jn Landy(right) in Empire game at Vancouver on Aug.7th 1954

以前記事で1マイル(約1600m)4分の壁を人類史上初めて破ったのは英国のロジャー・バニスター卿と書きました。時は1954年5月6日、所はオックスフォード大学のトラック、記録は3分59秒4でした。その直後の6月21日、フィンランドのテュルクにて豪州のジョン・ランディが3分58秒を出し、世界記録を更新します。
そうなると世間は二人が対決したらどうなるのか、どちらが世界一強いランナーなのか、と俄然耳目が集まってきます。
二人はその年の8月7日、バンクーバーで開催された英連邦大会で雌雄を決することになりました。何万もの観衆が見つめる中、号砲がなります。ランディは300m地点で早くも先頭に踊り出て、レースを引っ張ります。400mの通過は58秒。バニスターはランディの先行を許しますが、徐々にその差を詰めていきます。ランディは迫るバニスターの気配を感じたのでしょうか、何回も肩越しに振り向きながら位置を確認しようとします。
ランディがそのまま逃げ切るのか、はたまたバニスターが爆発的なスパートでランディを抜き去るのか、息の詰まるような、手に汗握るレース展開。
観衆も興奮し、レース会場は割れんばかりの声援で満たされます。この時の歓声が大きすぎてランディは迫るバニスターの足音が聞こえず、最終コーナーで左肩ごしに振り向いたその瞬間、バニスターがランディを一気に抜き去ります。
そのままバニスターが187cmの長身から繰り出されるロングストライドで差を広げ、ゴールテープを切ります。
軍配はバニスターにあがりましたが、二人とも4分を切る好レース。その模様が以下の映像に残されています。
1st   Rodger Bannister  3:58.8
2nd  John Landy           3:59.6




バンクーバーの大会会場には二人の対決を記念して銅像が建てられているらしく、この時の様子を振り返ってランディは聖書の逸話をもじってこう言ったといいいます。
「ロトの妻が振り返ったとき、彼女は塩の柱になってしまった。私はあの時振り返ってしまったために銅の柱になってしまった!」
“When Lot’s wife looked back she was turned into a pillar of salt. When I looked back I was turned into a pillar of bronze!”.

塩の柱 旧約聖書の逸話
 ソドムの町には、アブラハムの甥のロトという人が住んでいました。彼は正しい人だったので、神の使いは、ロトに町が滅びる前に逃げるように言い、ただし、けっして後ろをふり向いてはならないと告げました。ロトは家族を連れて逃げましたが、彼の妻はふり返ってしまったために、塩の柱になってしまいました。そこから、英語表現のa pillar of salt は 「すべてを失うこと」 の意味で使われます。



2018年1月10日水曜日

Dieter Baumann ディター・バウマン



1992年バルセロナ五輪にてアフリカ勢に一矢報いる。最後の息詰まるようなスパート合戦。死力を尽くしたランナーのみに訪れる至福の瞬間。

Dieter Bauman ディーター・バウマンは1965年西ドイツ生まれ。1988年のソウル五輪5000mで銀メダルを獲得し、映像にある1992年のバルセロナ五輪では金メダル、1996年のアトランタ五輪では4位に入賞しています。
1997年8月にチューリッヒで皇帝ハイレ・ゲブレセラシエ、ダニエル・コーメン、ポール・テルガトらに続いて5位に入り5000mの自己最高12分54秒70を記録しています。この記録は非アフリカ系ランナーとしては最高のタイムです。

*以下は12分台を記録している非アフリカ系ランナーの一覧です。iaaf 5000m 
4512:54.70Dieter BAUMANN09 FEB 1965GERGER5Zürich                            13 AUG 1997

5112:55.53Chris SOLINSKY05 DEC 1984USAUSA5Stockholm                      06 AUG 2010
5512:55.76Craig MOTTRAM  18 JUN 1980AUSAUS2London (Crystal Palace)30 JUL 2004
5912:56.27Dathan RITZENHEIN30 DEC 1982USAUSA3Zürich (Letzigrund)  28 AUG 2009
7212:58.21Bob KENNEDY18 AUG 1970USAUSA5Zürich                            14 AUG 1996

7712:58.56Matthew TEGENKAMP19 JAN 1982USAUSA7Bruxelles              04 SEP 2009  
8312:58.90Galen RUPP08 MAY 1986USAUSA3Eugene (Hayward Field)02 JUN 2012
*大迫傑選手参考記録
20913:08.40Suguru OSAKO23 MAY 1991JPNJPN6r1Heusden-Zolder            18 JUL 2015

2018年1月3日水曜日

三重県出身のランナー


一番有名なのは瀬古俊彦さんでしょう。桑名出身で四日市工高時代に800m、1500mインターハイ二冠。早稲田からSBへ進み、中村清監督の薫陶を受けマラソンランナーとして頭角を現し当時世界最強の名をほしいままにしました。現在はDeNAの総監督を勤めておられます。
古くは森本葵さん。夫婦岩で有名な二見出身で、宇治山田商業高校を経て中央大学に進学。1964年ドイツ・マインツ大学に留学中に800m1分47秒4の日本記録を樹立し、同年の東京五輪では優勝候補に挙がるほどの方でした。この記録は30年近く破られることがありませんでした。私が駒大に在学中は陸上部の監督の任をとっておられ、背が高く颯爽とした風貌が印象的でした。
近くは野口みずきさん。伊勢出身で森本さんと同じ宇治山田商業高校に進学。実業団では当初ハーフマラソンに専念。小柄ながらパワフルなストライド走法で鳴らしました。その後マラソンへ移行し2004年アテネ五輪では金メダルを奪取。2016年リオ五輪出場を目指していましたが、落選、引退して現在は上海に住んでいるようです。
最近では高林祐介選手、伊勢市小俣町出身で駒大時代の活躍を経てトヨタ自動車へ就職しました。同じ小俣町出身に尾西美咲選手。リオ五輪で女子5000mの代表に選出されています。同五輪では男子マラソンに鈴鹿市出身でホンダ所属の石川末廣選手、女子3000m障害に紀宝町出身で松山大学生の高見沢安珠選手が出場しています。


2017年7月19日水曜日

1マイル4分の壁


1940年代スウェーデン人のGunder Heagが4分1秒3まで迫るもその壁は厚く、第2次世界大戦を挟み記録更新は持ち越しとなった。
戦後何人かがその壁に挑むもことごとく撥ね返され、当時不可能とされていたエベレスト登頂、南極点到達にも比せられ、1マイル4分をきるのは人類には無理といわれていた。
1950年代にはいると豪州のJhon Landy、米国のWes Santee、英国のRodger Bannisterがこぞって好記録を出し誰が人類史上初めて4分の壁を切るか、衆目を集めていた。
Jhon Landyは4分2秒台を立て続けに記録し、1番の有望株であったが、4分の壁を評して「あと2秒それはたいしたことではないかもしれないが、一旦トラックに立つと残り15ヤードは堅固で貫通不可能、まるでセメントの壁のようだ」と言った。
Oxfordの医学生であったRodger Bannisterは自らの身体を実験台とし、医学的見地からその壁は十分破れると踏んでいた。
そして1954年の5月6日の風の強い日、OxfordのIffley roadにあるトラックで、友人のChris ChatawayとChris Brasherの力を借り57"5-1'58-3'00"2-3'59"4で走り見事大記録を達成する...
とここまでは前置きとなります。
先日妹の住んでいるLondonを訪問したのですが、この機会にこの歴史的快挙がなされた場所にぜひ行ってみようと思いました。

7月10日、LondonのPaddington駅から列車に乗ってOxfordに向かいました。Oxford駅前は近代的でしたが、町並みは古く教会、城、学寮、旅籠、酒場などが立ち並び、石畳の古い路地が主要道路につながっていました。10c頃に城ができ、都市を成したらしく、古城の真横には高さ50m位の傾斜の急な古墳があり、古くは塔が建てられ周囲を睥睨していました。頂上直下に墳丘の中央に向かって降りる階段が掘られ、古井戸がありました。街中には高い石造りの壁に囲まれた学寮が点在し、その中は窺うことはできませんでした。
町のすぐそばにはThames川が流れていてその支流であるCherwell川の小径は大きな樹がはえ歩くにはとても気持ちが良かったです。川には小船が浮かび、棹で川底を突きゆるゆると進んでいました。人々は太陽と水を楽しんでいる様子でした。川では漕艇が行われ、一糸乱れぬ櫂捌き。
橋を渡ると差路がありOxford大学のSports Centerへ200mとあり、標識にはRodger Bannisterがそこで1954年5月6日の風強き日に記録を打ち立てたと記載されていました。Iffley roadの細い路地を進むと左手に競技場が見えました。競技場には小さなメインスタンド、バックストレッチ側は6レーンで外には芝生が生え、プール、ジム、隣にはテニスコートが併設されていました。地元の人たちが訪れ銘々がそれぞれのトレーニングをしていました。一部の建物は改修中で壁にRodger Bannisterが4分を切った時の大きな写真が掲げられていました。
バックストレッチに荷物を置き、ランパンに着替え、久しぶりのトラックの感触を確かめました。トラックで走るのは本当に久しぶり。歴史的な記録が打ち立てられた場所で走るのはとても感動的でした。時折地元のランナーが訪れトラックに入って走っていました。
今1マイルどのくらいで走れるのだろうか。

膝に少し不安が残るが裸足で走る。足が突っ張る感じで走り辛い。少し風が強くホームストレッチでは少々の向かい風。何周走ったのだろうか。少しづつペースアップして走る。全力では走れない。腕を強く振ることに力をこめる。影でフォームを確かめる。そこそこの感じ。ゴールしてから半周休み、流しを入れる。額に汗が浮かび流れ落ちるのを感じた。その感覚がとても心地よかった。バックストレッチに戻り、身体をほぐし、足を水で洗う。

持参したFour Minutes Mileの写真と現場を照らし合わせてみました。100mスタートの後ろ側の3,4階建ての建物はそのまま残っていました。まさにこの場所で60余年前にRodger Bannisterが当時不可能といわれていた1マイル4分の壁を、友人のChris Chataway、Chris Brasherの力を借り3'59"4で走り破ったのです。立派なスタジアムではなく、草トラックじみたまま地元のランナーが自由に入れるままのこされているのはとても好印象でした。
今度訪れるときは1マイルのタイムトライアルでもしてみよう!!

2015年3月29日日曜日

ジェット桐生快挙!


テキサス州オースチンで追い風3.3mの参考記録ながら100mで9秒87を出し優勝!
次回出場予定の織田記念陸上に注目です。

2011年3月7日月曜日

パーシー・セラティ Percy Cerutty


略歴
1895年オーストラリア生まれ。44歳のときに生活習慣から心身ともに絶望的な状態となり、余命2年と医者に宣告される。一念発起し、猛然と自らの体を鍛え始め、病を克服し再び陸上の世界へと足を踏み入れる。50歳で24時間以内に160kを走り、51歳でマラソンオリンピック代表を目指し2時間58分で走る。その後、ハーブ・エリオット(ローマオリンピック金メダリスト)をはじめ多くのオリンピック選手を育て上げ、1975年没。奇矯な言動でも知られ、敵も多かったが、その独自のトレーニング方法は特筆に価する。

陸上競技において私がもっとも影響を受けた人物です。
パーシー翁のことはいずれ詳しく紹介したいと思っています。

5分18秒過ぎからのランニングの気持ちよさそうなこと!!
人工的な環境から脱し、人間本来の原始的かつ根源的「生きる喜び」を「走ること」で取り戻せ!!

Unleash your wilderness through running!!

"Running running hear the beat!
Bursting lungs and pounding feet!
Running running flat or hill!
Running with a steady gait!

You who never quit or pause,
soon shall learn the prize is yours.
Strong in wind and big in heart,
you will grow a man apart."

by Percy Wells Cerutty

2010年10月15日金曜日

エルゲルージVSケニア勢

2000年、シドニー五輪1500m決勝。
エルゲルージはチームメイトをペースメーカー役に立てて磐石の布陣、高速レースに持ち込み金メダル奪取を図ります。
アトランタの雪辱なるか!

El Guerrouji tried to pace up the race by using teammate as a rabbit.
He seemed to win the gold medal, but...

2010年10月8日金曜日

モルセリVSエルゲルージ

アルジェリアとモロッコの北アフリカ対決。
中距離界の雄が共にアトランタで対戦していたとは!知りませんでした。

接触が多く激しいレース内容。
前半はケニア勢が主導権を握りますが、百戦錬磨のモルセリがタイミングを見計らい先頭に踊り出ます。
いい位置取りをしていた新鋭エルゲルージがラスト500辺りでモルセリに並ぶも、、、

2010年6月1日火曜日

ランニングの要諦

アーサー・ニュートン(1883年英国生まれ、39歳のときからランニングキャリアーを再出発させ、多くの長長距離走の記録を打ち立てた。ロンドン、ブリングトン間50マイル、100マイル15時間、60マイル7時間33分でそれぞれ走破)の言葉。
 「徐々に距離を増やすこと。無理をしないこと。試合には出過ぎないこと。始めに飛ばしすぎないこと。腕の動きは最小限に抑えること。こぶしは軽く握ること。無駄な動きをなくし、楽に走ること。足裏全体で着地すること。地面には軽く、スムーズかつすばやく着地すること。最も重要なことは効率よく走ること。」

from Arthur Newton's words
"Arms move as little as possible. Just enough tension in hands so they don't flap around. Movements to be as concise and easy as may be. Study complete ease and unconcern while travelling. Try and skim lightly and silently along. Noisy footfall a sign that all not well. The main thing: effectiveness."

2010年3月4日木曜日

円谷幸吉選手

孤高のランナー 円谷幸吉物語という本を読みました。
円谷選手は東京オリンピックでマラソン銅メダルを獲得、同大会10000mでも6位入賞しており、スピードと持久力を兼ね合わせていた名ランナーです。
福島県須賀川出身で草ランナーから徐々に頭角を現し、ついにはオリンピックで栄冠をつかみます。
しかしその後はケガ、信頼するコーチとの別れと運命に翻弄され、ついには哀切きわまる遺書を残し、自らの命を絶ってしまいます。
いつか生家を訪ねてみたいです。

Olympic runner Tuburaya Koukichi, he won bronze medal in marathon and placed 6th in 10000m at Tokyo in 1964.
He was talented runner but after Olympic game suffered slipped disc, engagement was interfered by his superior, cut off relationship between his coach.
Above all the expectation to win the gold medal next Olympic made him nervous.
Finally he committed suicide at his age of 27.
He left a note which only declared thanking to every person he related.
His tragedy is unforgettable in Japanese track and field history.

その他の関連書籍

昔読みました。たぶん実家に行けばまだあると思う。。。
「長距離ランナーの遺書」という短編が収録されています。

2010年2月20日土曜日

丹野麻美選手

陸上競技マガジンを見たら400mの日本記録保持者、丹野選手が結婚するらしいです。
(知らない間に幅の池田久美子選手も結婚していて姓が変わっていました。福島大学勢はオメデタつづきのようです。)

丹野選手はこれから距離を伸ばし、800mに的を絞っていくようです。
先日NHKの番組でも取り上げられていましたが、遺伝子的には長い距離に適性があるみたいです。

400m走れる選手だとかなり持久性も優れているので、800mで好成績を出すことは十分に可能性があります。
(記録年鑑をみると、400mハードルの苅部俊二選手も現役時代800mを走っており、日本歴代20傑にランクインしています。)

今後の丹野選手、もとい千葉選手に注目、是非記録を伸ばして世界で戦ってほしいです。

追記:もともと400m専門のキューバのアルベルト・ファントレナ選手が距離を伸ばし、1976年モントリオールオリンピックで400m、800mの二冠を達成している成功例があるようです。http://ja.wikipedia.org/wiki/アルベルト・ファントレナ



2009年5月6日水曜日

対比 african vs europian


皇帝ハイレ・ゲブレシラシエと豪州のクレイグ・モットラムのラストでの熾烈な競り合い!!

二人とも12分台でフィニッシュしてます。

2009年5月2日土曜日

体調不良

の為、29日の武相マラソンは棄権しました。
残念、無念、また来年です。
新規まき直し、気持と身体の立て直しです。

今日は自転車で横浜の新治の森というところまで行き、1時間ほどjogをし帰ってきました。
初めて行きましたが、なかなか良いところでした。


以前紹介した偉大なマイラー、ハーブ・エリオットのスローモーション画像です。
特徴としては...
・接地時につま先がすでに返り、足裏全体で地面を一瞬にして捉えている。
・アフリカ系の選手より骨盤が立ち気味のため、腰の乗りが若干浅めですが、体重移動は非常に滑らか。
・強い腕振りでストライドをかせぎ、伸びのある走りにつなげている。
・余計な力みが殆ど見られない。まさに飛ぶよう!
Smooth landing, storng stride, no tension at all, marvelous!!

2008年12月6日土曜日

膝がまだまだ甘い

今日は練習会でビデオを撮ってもらいました。
久しぶりに自分のフォームを見ましたが、着地時に膝がわれ、力が外側に逃げています。
もう少し膝を絞り、内転筋を使って走らねば!!

今日の練習:代々木公園内周×8+ウィンドスプリント


1954年、ロジャー・バニスターが人類で始めて1マイル4分を切ったときの画像。
2人のペースメーカーを使い4分の壁に挑み、見事3’59”4を記録します。
丁度この頃、前出のパーシー・セラティ門下生、ジョン・ランディ、アメリカのウェス・サンティーを加えた3人が不可能とも言われた4分切りを狙ってしのぎを削ります。
詳しくはパーフェクトマイルという本が出てますので興味のある方は御一読を!!

2008年12月1日月曜日

最強のマイラー ハーブ・エリオット





1960年のローマオリンピック1500mでオーストラリアのハーブ・エリオットが3’35”6の世界記録で優勝した時の画像です。(現世界記録;H・エル・ゲルージ3’26”00、日本記録;小林史和3’37”42)
当時のトラック状況、選手をめぐる環境を鑑みれば驚異的といえるでしょう。
名コーチ、パーシー・セラティ仕込みの自由奔放な走りで1マイルでは36戦無敗を誇りますが、オリンピックのあと22歳という若さで引退してしまいます。
大きなストライドと力強い腕振りから生み出される、ダイナミックなフォームは素晴らしいの一言に尽きます。
1’43からのホームストレッチでの頭の動きに注目。殆ど上下動が無く、力の全てが推進力に転化しています。馬のように首が若干前後運動して、そのたびに加速しています。

Herb Elliot...he runs like a horse.

2008年9月30日火曜日

皇帝世界新記録樹立!!

28日ベルリンマラソンでハイレ・ゲブレシラシエが、4分を破る2時間3分59秒の世界記録を出し、3連覇!!
去年の同大会で自身が出した世界記録を27秒縮めました。
マラソンの高速化もついにココまで来たか!!日本勢もスピードを磨いて中長距離での世界との差を縮めて欲しいところです。
日清の実井選手が2時間12分48秒で7位に入っているのにも驚かされました。息がほんとに長い選手ですね。