1940年代スウェーデン人のGunder Heagが4分1秒3まで迫るもその壁は厚く、第2次世界大戦を挟み記録更新は持ち越しとなった。
戦後何人かがその壁に挑むもことごとく撥ね返され、当時不可能とされていたエベレスト登頂、南極点到達にも比せられ、1マイル4分をきるのは人類には無理といわれていた。
1950年代にはいると豪州のJhon Landy、米国のWes Santee、英国のRodger Bannisterがこぞって好記録を出し誰が人類史上初めて4分の壁を切るか、衆目を集めていた。
Jhon Landyは4分2秒台を立て続けに記録し、1番の有望株であったが、4分の壁を評して「あと2秒それはたいしたことではないかもしれないが、一旦トラックに立つと残り15ヤードは堅固で貫通不可能、まるでセメントの壁のようだ」と言った。
Oxfordの医学生であったRodger Bannisterは自らの身体を実験台とし、医学的見地からその壁は十分破れると踏んでいた。
そして1954年の5月6日の風の強い日、OxfordのIffley roadにあるトラックで、友人のChris ChatawayとChris Brasherの力を借り57"5-1'58-3'00"2-3'59"4で走り見事大記録を達成する...
とここまでは前置きとなります。
先日妹の住んでいるLondonを訪問したのですが、この機会にこの歴史的快挙がなされた場所にぜひ行ってみようと思いました。
7月10日、LondonのPaddington駅から列車に乗ってOxfordに向かいました。Oxford駅前は近代的でしたが、町並みは古く教会、城、学寮、旅籠、酒場などが立ち並び、石畳の古い路地が主要道路につながっていました。10c頃に城ができ、都市を成したらしく、古城の真横には高さ50m位の傾斜の急な古墳があり、古くは塔が建てられ周囲を睥睨していました。頂上直下に墳丘の中央に向かって降りる階段が掘られ、古井戸がありました。街中には高い石造りの壁に囲まれた学寮が点在し、その中は窺うことはできませんでした。
町のすぐそばにはThames川が流れていてその支流であるCherwell川の小径は大きな樹がはえ歩くにはとても気持ちが良かったです。川には小船が浮かび、棹で川底を突きゆるゆると進んでいました。人々は太陽と水を楽しんでいる様子でした。川では漕艇が行われ、一糸乱れぬ櫂捌き。
橋を渡ると差路がありOxford大学のSports Centerへ200mとあり、標識にはRodger Bannisterがそこで1954年5月6日の風強き日に記録を打ち立てたと記載されていました。Iffley roadの細い路地を進むと左手に競技場が見えました。競技場には小さなメインスタンド、バックストレッチ側は6レーンで外には芝生が生え、プール、ジム、隣にはテニスコートが併設されていました。地元の人たちが訪れ銘々がそれぞれのトレーニングをしていました。一部の建物は改修中で壁にRodger Bannisterが4分を切った時の大きな写真が掲げられていました。
バックストレッチに荷物を置き、ランパンに着替え、久しぶりのトラックの感触を確かめました。トラックで走るのは本当に久しぶり。歴史的な記録が打ち立てられた場所で走るのはとても感動的でした。時折地元のランナーが訪れトラックに入って走っていました。
今1マイルどのくらいで走れるのだろうか。
膝に少し不安が残るが裸足で走る。足が突っ張る感じで走り辛い。少し風が強くホームストレッチでは少々の向かい風。何周走ったのだろうか。少しづつペースアップして走る。全力では走れない。腕を強く振ることに力をこめる。影でフォームを確かめる。そこそこの感じ。ゴールしてから半周休み、流しを入れる。額に汗が浮かび流れ落ちるのを感じた。その感覚がとても心地よかった。バックストレッチに戻り、身体をほぐし、足を水で洗う。
持参したFour Minutes Mileの写真と現場を照らし合わせてみました。100mスタートの後ろ側の3,4階建ての建物はそのまま残っていました。まさにこの場所で60余年前にRodger Bannisterが当時不可能といわれていた1マイル4分の壁を、友人のChris Chataway、Chris Brasherの力を借り3'59"4で走り破ったのです。立派なスタジアムではなく、草トラックじみたまま地元のランナーが自由に入れるままのこされているのはとても好印象でした。
今度訪れるときは1マイルのタイムトライアルでもしてみよう!!
とここまでは前置きとなります。
先日妹の住んでいるLondonを訪問したのですが、この機会にこの歴史的快挙がなされた場所にぜひ行ってみようと思いました。
7月10日、LondonのPaddington駅から列車に乗ってOxfordに向かいました。Oxford駅前は近代的でしたが、町並みは古く教会、城、学寮、旅籠、酒場などが立ち並び、石畳の古い路地が主要道路につながっていました。10c頃に城ができ、都市を成したらしく、古城の真横には高さ50m位の傾斜の急な古墳があり、古くは塔が建てられ周囲を睥睨していました。頂上直下に墳丘の中央に向かって降りる階段が掘られ、古井戸がありました。街中には高い石造りの壁に囲まれた学寮が点在し、その中は窺うことはできませんでした。
町のすぐそばにはThames川が流れていてその支流であるCherwell川の小径は大きな樹がはえ歩くにはとても気持ちが良かったです。川には小船が浮かび、棹で川底を突きゆるゆると進んでいました。人々は太陽と水を楽しんでいる様子でした。川では漕艇が行われ、一糸乱れぬ櫂捌き。
橋を渡ると差路がありOxford大学のSports Centerへ200mとあり、標識にはRodger Bannisterがそこで1954年5月6日の風強き日に記録を打ち立てたと記載されていました。Iffley roadの細い路地を進むと左手に競技場が見えました。競技場には小さなメインスタンド、バックストレッチ側は6レーンで外には芝生が生え、プール、ジム、隣にはテニスコートが併設されていました。地元の人たちが訪れ銘々がそれぞれのトレーニングをしていました。一部の建物は改修中で壁にRodger Bannisterが4分を切った時の大きな写真が掲げられていました。
バックストレッチに荷物を置き、ランパンに着替え、久しぶりのトラックの感触を確かめました。トラックで走るのは本当に久しぶり。歴史的な記録が打ち立てられた場所で走るのはとても感動的でした。時折地元のランナーが訪れトラックに入って走っていました。
今1マイルどのくらいで走れるのだろうか。
膝に少し不安が残るが裸足で走る。足が突っ張る感じで走り辛い。少し風が強くホームストレッチでは少々の向かい風。何周走ったのだろうか。少しづつペースアップして走る。全力では走れない。腕を強く振ることに力をこめる。影でフォームを確かめる。そこそこの感じ。ゴールしてから半周休み、流しを入れる。額に汗が浮かび流れ落ちるのを感じた。その感覚がとても心地よかった。バックストレッチに戻り、身体をほぐし、足を水で洗う。
持参したFour Minutes Mileの写真と現場を照らし合わせてみました。100mスタートの後ろ側の3,4階建ての建物はそのまま残っていました。まさにこの場所で60余年前にRodger Bannisterが当時不可能といわれていた1マイル4分の壁を、友人のChris Chataway、Chris Brasherの力を借り3'59"4で走り破ったのです。立派なスタジアムではなく、草トラックじみたまま地元のランナーが自由に入れるままのこされているのはとても好印象でした。
今度訪れるときは1マイルのタイムトライアルでもしてみよう!!
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